見取り図盛山の昔が別人?125kg巨漢からイケメン期、ドレッドの真相
テレビバラエティの最前線でMCやパネラーとして圧倒的な存在感を放つお笑いコンビ・見取り図の盛山晋太郎さん。たくましい体躯と長髪、ワイルドなヒゲという唯一無二の風貌がトレードマークですが、実はネット上やファンの間で「昔の姿が今と違いすぎて衝撃的」と定期的に大きなバズを巻き起こしています。
驚愕の体重125kg時代の巨漢ショットから、まるで別人のような激痩せイケメン期、さらにはインパクト抜群のドレッドヘア時代まで、その変貌ぶりはまさに劇的です。今回は、盛山さんの学生時代の卒アル流出エピソードや囁かれたヤンキー疑惑の真相、壮絶な体重遍歴とキャリアの歩みを徹底取材の視点から紐解いていきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:専門学校時代には体重が最大125kgに達し、規格外の巨漢だった過去が存在する。
- 要点2:NSC入学時に約30kg以上の大幅減量を果たし、爽やかな塩顔イケメンだった「痩せてた頃」のビフォーアフターが圧巻。
- 要点3:ドレッドヘアやコーンロウ姿からヤンキー疑惑が浮上したものの、実際はブラックミュージックに傾倒した陽気な目立ちたがり屋だった。
【体重125kg時代】見取り図盛山の昔の写真が放つ圧倒的インパクト
現在でこそ「ガタイの良い兄貴分」という印象が定着している盛山晋太郎さんですが、青春時代のピーク時には体重125kgを記録していました。テレビ番組で当時の写真が公開されるたび、スタジオがどよめきに包まれるほどの規格外なボリューム感を誇っていたのです。
巨漢化がピークに達したのは、高校卒業後に進学した大阪法律専門学校の時代でした。もともと食べることが大好きだった盛山さんは、当時毎日のようにメガ盛りの牛丼やラーメン、揚げ物を平らげる生活を謳歌。体格の良さはもはやお笑い界の枠を超え、力士やアメフト選手を思わせる貫禄を放っていました。
当時の写真を見ると、首のラインが見えないほど顔まわりに肉がつき、現在の面影を探すのが難しいほどパンパンに膨らんだ姿が確認できます。本人がバラエティ番組で「当時は服のサイズが5Lで、ズボンの股が歩くたびに摩擦で破れていた」と自虐エピソードを披露する通り、常人離れした巨漢ライフを送っていたのは紛れもない事実です。
痩せてた頃は超美男子?「奇跡のイケメン期」ビフォーアフターの真実
125kgという超重量級時代を経験した盛山さんですが、実はその後に「驚愕の激痩せイケメン期」を迎えています。ネット上で見取り図盛山 痩せてた頃と検索すると上位に浮上するシャープな写真は、初見の読者なら誰もが二度見してしまうほどの破壊力を持っています。
ダイエットを決意したのは、芸人を志してNSC(吉本総合芸能学院)大阪校へ入学する直前のことでした。「芸人として舞台に立つなら、少しでも見た目を整えたい」という思いから、徹底的な食事制限と有酸素運動を決行。その結果、短期間でマイナス約35kg〜40kgという驚異的な減量に成功し、体重は80kg台前半まで落ちました。
痩せてフェイスラインがくっきり現れた当時の盛山さんは、切れ長で涼しげな目元が際立つ和風の正統派イケメンそのもの。現在の長髪ヒゲスタイルとは真逆の爽やかな短髪姿で、相方のリリーさんからも「あの頃の盛山はホンマにかっこよかった」と評されるほどでした。まさに激変と呼ぶにふさわしいビフォーアフターは、現在もSNSで定期的に拡散され続けています。
ドレッドヘアにB-BOYスタイル|学生時代のヤンキー疑惑と素顔
盛山さんの昔を語る上で欠かせないもう一つのトピックが、成人式や学生時代の強烈なビジュアルに起因するヤンキー疑惑です。かつて番組で披露された成人式の記念写真では、頭部全体を細かく編み込んだドレッドヘア(コーンロウ)に、ダボダボのセットアップスーツという出で立ちで、危険なオーラを漂わせていました。
中学校や高校の卒アル写真でも短髪に鋭い眼光を放っていたため、一部では「堺の元ヤンだったのではないか」と囁かれたこともあります。しかし、取材を進めると真相は全く異なっていました。盛山さんは不良行為に明け暮れていたわけではなく、アメリカのヒップホップカルチャーやストリートファッションにどっぷりハマっていた「熱狂的なB-BOY」だったのです。
地元・大阪府堺市で仲間たちとラップバトルに熱中し、カルチャーとしての見た目を追求した結果があのドレッドヘアでした。同級生からの証言でも「見た目は威圧感があったけれど、実際は誰よりも人を笑わせることが大好きなムードメーカー」「面倒見が良くて友達思いの優しいやつ」と評されており、コワモテな外見と人情味あふれる内面のギャップこそが、現在の愛されキャラの原点と言えます。
盛山晋太郎の生い立ちと経歴|堺の少年が天下を取るまでの軌跡
激しい外見の変化を繰り返してきた盛山晋太郎さんですが、その芸人としてのキャリアは地道な下積みと実力によって築き上げられたものです。ここで改めて、彼が大阪から全国区のスターへと駆け上がった経歴を振り返ります。
1986年に大阪府堺市で生まれた盛山さんは、幼少期から目立ちたがり屋でお笑い番組に夢中な少年でした。高校卒業後は一度「公務員を目指す」という名目で大阪法律専門学校に進学したものの、芸人への夢を諦めきれず、2006年にNSC大阪校へ29期生として入学します。
そこで同期として出会ったのが、後に運命の相方となるリリー(清水将企)さんでした。2007年に「見取り図」を結成した当初は劇場での苦戦が続いたものの、盛山さんの卓越したワードセンスと力強いツッコミ、リリーさんの独特な脱力系ボケが噛み合い、徐々に関西の賞レースで頭角を現していきます。そして2018年から3年連続で『M-1グランプリ』決勝進出を果たし、一気に全国ブレイクを果たしました。
なぜ体型が激変したのか?驚異のダイエット歴と現在のスタンス
125kgの巨漢からイケメン期へ、そして現在のワイルド系大柄タレントへ――。なぜ盛山さんの体型はこれほどまでに激変を繰り返してきたのでしょうか。その背景には、極端なダイエットによるリバウンド癖と、芸人としてのアイデンティティの模索がありました。
NSC入学時に劇的な減量を達成した盛山さんでしたが、若手時代の不規則な生活や夜遅くの深酒、過度な食事制限の反動により、徐々に体重がリバウンドしていきます。一時は再び100kgの大台を突破し、体重の増減幅は通算で数十キロに及びました。
しかし、ブレイクを経た現在は「無理にガリガリを目指すのではなく、清潔感のある大人の男らしさ」を重視するスタンスへとシフトしています。パーソナルジムでのトレーニングを取り入れつつ、長髪とヒゲを丁寧に手入れすることで、かつてのヤンチャ感やただの肥満とは一線を画す、ファッショナブルで頼もしい「見取り図・盛山」のビジュアルを完成させました。昔の試行錯誤があったからこそ、現在の唯一無二の華が生まれています。
【見取り図 盛山 昔】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:盛山晋太郎さんの人生で最も太っていた時期の体重は何キロですか?
A1:大阪法律専門学校に通っていた学生時代からNSC入学直前にかけての125kgが過去最高です。当時は歩くだけで服が擦り切れるほどの巨漢でした。
Q2:昔本当にヤンキーだったのですか?喧嘩のエピソードなどはありますか?
A2:ヤンキーではなく、ヒップホップやストリートカルチャーを愛するB-BOYでした。ドレッドヘアやコーンロウにしていたため威圧感はありましたが、喧嘩に明け暮れるような不良ではなく、仲間内を笑わせる陽気で心優しい性格でした。
Q3:痩せていたイケメン期の写真はテレビなどでも見られますか?
A3:『ロンドンハーツ』や『あいつ今何してる?』などのバラエティ番組で度々公開されています。NSCに入学した20歳前後の写真で、現在より30kg以上痩せており、すっきりとした塩顔イケメンの姿が確認できます。
まとめ:激動の過去を経て唯一無二の存在感を放つ盛山晋太郎
見取り図・盛山晋太郎さんの過去を辿ると、125kgの巨漢時代、劇的な減量を遂げた奇跡のイケメン期、そしてドレッドヘアに身を包んだストリート時代と、まるで何人もの人生を歩んできたかのようなドラマチックな変遷が見えてきます。
かつての激変エピソードの数々は、単なる笑い話にとどまらず、現在の彼の豊かなトーク力やどんな現場でも物怖じしない人間味の土台となっています。過去のあらゆる姿をポジティブな笑いに昇華させ、進化を続ける盛山さんが、今後バラエティ界でどのような存在感を示していくのか期待が高まります。 (出典: 見取り図 盛山 昔(Yahoo!ニュース))